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ばあちゃんの手紙

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ばあちゃんの手紙

父方の叔母は兄を可愛がっていたから妹の自分は厳しく言われることが多かった。
だけど母方のばあちゃんは自分を可愛がってくれた。すごく優しかったし、手先も器用で浴衣も作ってくれた。

母もよく自分を連れて遊びに行ったので、二人は仲が良いんだと思っていた。

だけど、じいちゃんが亡くなった後、母はぱったりとばあちゃんのところに行かなくなった。後で知ったのだが、ばあちゃんはじいちゃんの再婚相手。
母とは血のつながりがないのだ。母の姉が特に嫌がって母にも「あまり会いに行くな」と言っていたらしい。
そのことにひっかかりつつ、自分も就職した直後だったし、仕事が忙しくてなかなか会いに行くこともできなくなっていた。

毎年ばあちゃんから年賀状は数年前からこなくなった。
電話口でばあちゃんは「筆圧が弱くなって書きづらいの、読みにくいし」と申し訳なさそうに話していたっけ。
自分が結婚することになって、久しぶりに会いに行ったばあちゃんは白髪になっていた。
もともと小さくて細かった体は更に小さくなっていた。「結婚式は体調が悪くてでれそうにないの、ごめんね」そういったばあちゃん。

挙式後、新居に一番初めによんだ。
一人では来れないからと、自宅まで送り迎えしてくれた旦那さんのことを「いいひとだね、いいひとに巡り合えて良かったね」と褒めてくれた。
ばあちゃんの体はもっと小さく、細くなっていた。

新居に呼んだ時のことを嬉しそうに話していたらしい(後日母の妹(伯母)に教えてもらった)。
年賀状は書けないからといっていたのに後日お礼の手紙が届いた。本当に字が震えていて読みにくい。
それでもハガキを書いてくれたことすごく嬉しくて、もっとばあちゃんを喜ばせてあげたいと思った。

ずっと会えなかった、いや、どこかに面倒くさいという思いもあったと思う。
会いに行こうとしなかった分、これからもっと会いに行って喜んでもらいたかった。
だけど、ばあちゃんはその後入院した。一度だけお見舞いに行ったけれど、その時はすごく喜んで「こんなに話したのは久しぶりだよ」と笑っていた。
帰る時も「寒いからいいよ」と言ったのに 病院の入り口まで見送ってくれた。
少し歩いて後ろを振り向いたらまだその場に立って、手を振っていた。そんな姿を見たら目頭が熱くなった。

その直後、病気が少し回復して(本当は治る見込みがないからと)退院。
これを機に一人暮らしをさせておくわけにはいかない、と母の妹夫婦と同居することになった。
だけど引っ越ししてから一月もしないうちにばあちゃんは自宅で息を引き取った。
葬式の時、自分は涙が出なかった。みんな泣いているのに4さいの姪ですら泣いていたのに、自分はぼんやりとその光景を眺めていた。

ばあちゃんがなくなって1年後、私は手紙の整理をしていた。その時ふとばあちゃんの手紙を見つけた。
新居に呼んだ後、数回手紙をやりとりした時のハガキだった。
絵入りのかもめーるに弱々しい、震えた字で「あなたの手紙が何よりも嬉しいです」それを見た瞬間、涙がぼろぼろ出てきて声を上げて泣いた。
あんな手紙で良いのなら、もっと出してあげれば良かった。もっとマメに電話してやればよかった。
小さくなった体を見るたびに「もっと会いに行こう」って思ったのに、結局思っただけで満足していたんだ。

ばあちゃんが亡くなってもう3年になる。
まだその時の手紙は読み返すことができない。

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