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透明ランナー

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透明ランナー

ラケット&ゴムボール野球を「ハンドベース」と呼んでいた福島県人。

休み時間の男子定番になったのは小学5年から。
チームは固定されていた。25分の休み時間、チーム決めで時間は潰さない。
男子20人のうち、12~14人は毎回参加。
1チームは6、7人。うまい人から順に打つ。

ボールパークは昇降口前。校舎と校舎に挟まれた30×50M程度の空間。
校舎に当たってもそれをノーバウンドキャッチすればアウト。

ときどき窓が空いていて、校舎にボールが入っていく。
飛距離がありすぎて、屋上に入ったら試合中断。
誰かが100円を出す。消費税はまだない。

正門前の「佐藤商店」にボールを買いに行くのはクラス一足の速いオンダくん。
ボールを掲げて帰って来るオンダくん、それを迎える僕ら。

放課後、他のクラスとやることもあった。

一度、クラスの女子が見にきたことがある。
好きだった女の子の前でナイスキャッチとナイスバッティングができた。
そのコは九州に転校していった。
今は東京にいるらしい。僕も東京にいる。

僕たちもホームラン数と打率を計算しておりました。
ノートにこと細かく。 ほとんどのみんながイチロー越え。

好きな野球選手に似せたバッティングフォームで打っていました。
バースに落合、クロマティ、掛布、八重樫、篠塚、 80年代後半のプロ野球。
僕は右利きなのに、阪神ファンだからバース。

でもこのバースが打ったホームランは卒業式直前の1本だけ。
全員が打っていたホームラン。最後だった僕。
そのことは放課後の「帰りの会」の「今日のできごと」で 誰かが言ってくれた。

96年1月、成人式。
タイムカプセルを掘り起こすために市民文化センターから小学校へ。

卒業以来の小学校。ふと昇降口へ歩いた。
8年前、そこがボールパークだった。

ホームベースのマンホールの右にあのときと同じように立った。
マウンドを一度見て、コブシを重ねた両腕を振り切り、
僕はダイアモンドを小走りにかけた。

こんなに狭くてちっぽけな空間が、その日々の象徴だった。
その日々を過ごした僕達がそこにいたのに、タイムカプセルにはラケットもボールもなかった。

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